GAJOMAL Ver.17
2012/10/09 コメントはまだありません
目に見えるモノだけが現実ではない。
コレ名言
だけど、目に見えなきゃ、触らなきゃ、聞こえなきゃ、目の前からいなくなれば、それはもう僕らの現実からは消えてしまうんだ。
まあ、いいや。
とりあえず、夜になったら寝よう。
そしたら、明日はまた違うから、始まりだから。
GAJOMAL Ver.16
2012/09/19 コメントはまだありません
フッと気を抜くと
夏が終わりそうである。放ってなんて置けないぜ!!!
この前久しぶりに心を震わせる本を読んだ。
感想はまた今度。
本や絵や…ストリートスナップや普段の生活や時間軸や対人や、アレヤコレヤで交わる事のない場面を提供してくれる
モノに対して
うん、いや、対してと言うよりはモノを常に求めている。
現実逃避?んー現実に満足は…分からないよね。
でも、見た事ない状況や聞いた事ない状況や味わった事ない状況や…
興味を尽きてしまったら終わりだからね、常に求める。
と書くと現実に満足はしていないのか?
仕事は刺激よりも疲労が勝る時点で、自分の力量を疑う、ってか疑おう!じゃないと、自分の人生に縛りをかける一方だから
自分はコレとアレだけじゃないんだって、何でもできる
ほら!!!
GAJOMAL Ver.15
2012/08/26 コメントはまだありません
さて、何を求めて生きていこうか。
状況の変化なんかに慣れる訳もなく、自分の意思では止められない流れ…
んなもんに身流せれるか!!!
笑うために生きる、自分も周りも。
守るために術を磨く。
闘うためではなく、守る為に。
例えば触ったり、触られたりする事は相手を、自分を肯定して受け入れると言う事でしょ?
つまりはそう言う事…?ん!?どーいうこと?
受け入れなくてはいけない現状を肯定する勇気
その現状を見据えて、そこから逃げる勇気
その現状でも闘える勇気を
そんな、勇気を。
未来のないものばかり集めるのではなく、未来に繋がる ボクラの未来に残る今を集めたい。
GAJOMAL Ver.14
2012/08/14 コメントはまだありません

花火の美しさに息をのむ。
と、までは行かないが花火は好き。
「風物詩」
一瞬の美はボクを惹き付ける
そんな想いでふっと空を見上げたら流れ星が横切った。
あぁ、明日も暑いけど頑張ろうって。
あぁ、笑顔になれる機会を作ってくれてありがとうって。
うん、花火だろうが星だろうが何だっていいんだ、笑顔をくれるものなら。
ん!?…えぇーと、
久しぶり過ぎてブログの書き方忘れちまったぜ。もっと頻繁に書いていこう、そーしよう。
GAJOMAL Ver.13
2012/07/03 コメントはまだありません
昔に書いたコノ文章が、世に出てないなんて悲しいじゃないかぁーい。って事であっちのブログからコピペ。
とても感銘を受けたエッセイがあったので…以下抜粋
真面目な人間は生きにくい。人に笑われたりバカにされたりすることを恐れると、少しの事で激烈に己を恥じ、視線が恐くなる。
笑われたって大丈夫なんだよ。
他人が指差して嘲笑しようと、そんなもの慣れちまえば何ともない。どうせ人は無責任にいろいろ言いたいだけなんだ。誰かをバカにすることで優越感に浸り、ナルシシズムに酔いたいだけだ。そんなのにいちいちビクビクする必要なんてないんだよ。
誰に笑われたって、あなたの人生の価値が下がることはない。ましてや、あなたという人間の価値がそれで減ずるわけでもない。
笑われることに慣れていけば、そういうことも見えてくるんだよ。
「笑われることに慣れろ」
と、うん、
素晴らしい!!
なるほど。困難が多すぎる人生に、また一つ楽に生きる方法を教えてもらった。
GAJOMAL Ver.12
2012/06/21 コメントはまだありません
電車から初めて完成したスカイツリーを見ましたよ。
台風の後の夕日が歩みを止めるくらい美しかったよ。
咲き誇る紫陽花が綺麗だったよ。
数多の言の葉に想いをのせる。
伴えなかった様々な色、形、香りを
ゆらゆらと、ゆっくりでも届いて欲しいと
GAJOMAL Ver.11
2012/06/17 コメントはまだありません
奇跡的に流れ星を拝めたので、テンソン上がって筆ならぬ、携帯を取り出す。
儚いね。
3回も唱えれないよ、一瞬だから…
自分で言うのもなんだけど、流れ星運はある…と思う。
前見たのはつい最近の気がする…うん、間違いない!
流れ星って憧れの象徴だから、一年に一度。
もっと言ってしまえば人生に一度の奇跡だと思う、だから無理して、頑張って、あの一瞬の奇跡に全ての思いのたけを載せて、3回の願いを載せて右から左へ流れる筋に今の、人生の全ての想いを載せる。
柄にもなく手を胸の前で組んだり、十字を組んだり…
「地球が壊れるくらい悲しい。」と言った藤井の言葉や、「世界の終わりは自分が死んだ時」と言ったドニーダーコの言葉の意味を胸に刻みながら夜道を歩く。
辛い事、悲しい事、嫌な事etc そんな出来事の連続で笑顔を探す。
そんな世の中だから生きていく。生きていかなくてはいけない。
「でもさ、一人は辛いよね。」とコーエツが言う。
…うん、酒が回ってきたから、何書いてるのか分からなくなってきたね。でもね、キミの思うように生きればイインダヨと
さて、明日もphatな笑顔で
GAJOMAL Ver.10
2012/06/05 コメントはまだありません
今日もボチボチ帰りましょう。電車に揺られて帰りましょう。
魔法に掛かる素晴らしさ。
魔法が解けるもどかしさ。
それがどんな魔法でも、幻だろうが、あやかしだろうが、目の前を明るくしてくれるなら、解けるまで溺れてもいい
目の前にあるモノ、見ているモノが今で、真実なのだから。
最近ね… …、うん、まぁいいや。取りあえず、魔法使いを探しましょう。
「美しいモノにはトゲがある。」
何十年に一度、何百年に一度の奇跡を目の当たりにした日々が続いたね、少し書くの遅いけど。
太陽や月や星や火星やアレやコレや。
希望や願望や尊敬や畏怖や崇高や 見上げる人の気持ちによって彼らは立場や顔色を変える。
勝手な都合で申し訳ないけどね。
奇跡の天文ショーにもトゲがある、タダでは見せてくれないのが美しいモノの醍醐味であり特権でもある。
どうせ、次は105年後!?なら、それなら、こんな人生で一度のチャンスをボクラは両目を犠牲にしてでもその美しさを目に焼きつけたいと考えた。
「それぐらいの度胸と勇気がなければ美しいモノは手に入らないのだよ。」と、崇められ、意地悪で傲慢な存在が、空からボクラの悔しがる様子をセセラ笑っているのを横目に
「ナンとかメガネ~!!」、で簡単に美しモノを手に入れた…
アレ!?人生って意外と簡単! イヤイヤイヤ、全てはやり方なんだね。
さて、正面からダメなら横から?上?下?
それとも…うん、見方を変えればやり方なんてたくさんあるんだよ。ボクラには。
さて、今日もphatな笑顔で
GAJOMAL Ver.9
2012/05/24 コメントはまだありません

あー久しぶりにイライラと凹む事があった。
こう時はどうしましょう?いっぱい文字書いて憂さを晴らしましょう、そうしましょう。
文字は良いよね。
書く度に心の憂さが一枚一枚剥がれていく気がする。
そうやって、また元に戻っていくんだね。
明日がもう直ぐ迫っているから、早く暗い部分を、汚い部分を、臭い部分を、嫌いな部分を剥がしていこう。
最近、舟を編む
を読んだ。
本屋大賞一位だから、有名だね。
辞書作りを舟と見立て、言葉の海で泳ぐ人々が無事な航海を出来る様な舟を完成するまでのお話。
って、この中途半端な抽象的な説明で分かる人はいないと思うけど、まぁ内容は置いといて。
言葉ってさ自己満足の世界なんだけど、でもその中に絶対的に自分を入れて行くべきだと思う。特にこういう私的な文章を書くときには。だから、理解できない事や受け入れてくれない人もたくさんいるよね。
まぁ、それは人付き合いと同じ。もちろん皆に受け入れて貰える聖人君子が良いんだろうけど、いるわけねぇーだろ!?
だから、人を好きにもなるけど嫌いにもなる。仕方がないよね。
なんか自分で反芻して凹んできた…
で、本の話ね。
「どうかいい舟を作ってくれ、多くの人が、長く安心して乗り切れるような舟を。さびしさに打ちひしがれそうな旅の日々にも、心強い相棒になるような舟を。」
「何かを生み出すためには、言葉がいる。人の中にも海がある。そこに言葉という落雷があってはじめて、全ては生まれてくる。愛も、心も。言葉によって象(かたど)られ、昏(くら)い海から浮かびあがってくる。」
と。…ってアレ何書こうとしたのか忘れちゃったよ。なんか少し書いたら落ち着くもんだな。
素敵な言葉の羅列は心に沁みる。知っている言葉の集合体も使い方次第でこんなにも膨らむものかと。
5月23日はこの本でも、少し鍵となる「恋文」の日だってさ。5,2,3…全然こいぶみ掛かってねぇージャン。
GAJOMAL Ver.18
2012/10/16 コメントはまだありません「流しの下の骨」(amazon→*)
と言う、何ともタイトルと内容のギャップがあり過ぎる本がある。
平たく言うと、少し変わった一家の日常を素晴らしく豊かな表現で書きあげた小説。
今日、恐らく孫と祖母と祖父と思われる3人組が手を繋いで横断歩道を渡る光景を目にした。特質すべき事もない光景であるが、ボクは少し胸が痛くなる。
流しの下に出てくる、ことちゃんでも、ソヨちゃんでも、次女は忘れた、でもない、末っ子で唯一の男の子の律。
何回もこの小説読んでいるが、最近読んでないし今は手元にないので、不確かだがこの兄弟には子供の頃苦手だったものがそれぞれある。
確か律が苦手だったものが、「老人」だった気がする…もしかしたらソヨか次女だったか…
ボクは小さい時には人見知りで大人が苦手だった。
母方の実家が東京だったので、月に数回はそちらの実家に母と姉と三人で遊びに行っていた。もちろん、ボクにとってのおじいちゃんとおばあちゃんの家である。
寡黙だが笑うと豪快で歯が無いので、子供のボクには何を言っているのか聞き取り辛いおじいちゃんと、母が年を取ったらの未来形を今思うと完璧に形成しているおばあちゃん。
家に行っても、漫画読んだり、TV見たり、駅前で買って来たケーキを食べて、おじいちゃんはいつもシュークリームだったな。そして、夕飯の買い物を母と姉と三人で近所の商店街でして帰るというほぼ決まった一日。
おじいちゃんとおばあちゃんと三人でどこか、近くの公園やスーパーにすら行った記憶も無いので、手を繋いだ記憶も無い。
母方の祖父母にとってみれば唯一の男孫であるボクには一体どんな事を期待していたのだろうか?多分何かを期待したりはしてなかったと思うし、行って顔を見せあうだけでも孝行だったのだと思う。
でも、ボクには後悔がある。
もう少し、笑っていれば、話をしていれば、どこかに出かけていれば、おじいちゃんが亡くなったあとしばらくおばあちゃんが一人で生活していた期間にもう少し足を運んでいれば…大人が苦手なボクは孫としての役割を果たせていたのか?
正解の無い問いをし続けても意味がないけれど、老人と子供の組み合わせを見るとたまに考えてしまう。

失って気付くとは定石文句であるが
悪い思い出が九つあっても、一つの善い思い出があれば軽くなれる。
悪い思いでじゃなくて、後悔だけど…上書きする事の出来ない人達との思い出は、笑顔でいたい。
というのを、去年の今日もう一個の方に書いた。あれからもう一年か。
早いzo、月日の経過!!